昔から、交通の要所として栄えてきた栗東は、江戸時代に入り、整備された東海道・中山道に挟まれた交通の要衝として、一段と賑やかになりました。近江地方における東海道は、伊勢参宮道としての要素を兼ね備え、「伊勢道」とも言われていました。
東海道の石部宿(湖南市)と草津宿(草津市)の約中間点に、「梅木立場(うめのきたてば)」(現在の栗東市六地蔵あたり)がありました。立場とは、幕府公用の馬や駕籠などを止めて休息する所で、ちょうど宿場と宿場の中間地点に設置される事が多かったようです。また、旅人の休憩等に利用された「間の宿」でもあり、旅人に薬を売るため、梅木に和中散屋が生まれました。
和中散とは、胃痛や歯痛などにもよく効く薬で、旅人の道中薬として重宝され、その始まりは元和元年(1615)、本家是斎家(大角家)が、京都の名医半井ト養(なからいぼくよう)の娘をめとって、和中散や小児薬の奇妙丸の製法を伝授され、大きな梅樹の木蔭で旅人に売るようになったと伝えられています。また、慶長16年(1611)、徳川家康が野洲郡永原陣屋で腹痛を起こした時、典医が和中散を勧めたところ、たちまち快癒したとあります。
和中散を商う薬屋は最も多い時には7,8軒あり、宝永年間(1704〜1711)には、すでに東海道名物として全国的に有名になっていたようで、「是斎(ぜさい)」・「如斎(じょさい)」・「定斎(じょうさい)」・「是済(ぜさい)」などの屋号を名乗り、互いに競い合っていました。
和中散屋を営むかたわら、小休屋も兼ねていた大角弥右衛門家には多くの大名が休憩に立ち寄っていたようです。小休屋として賑わっていた大角家に、安永2年5月4日、雲洲様と言われていた松江藩(島根県)の藩主松平治郷が、参勤交代の途中、旅程が1日延びたために、草津宿・石部宿に宿泊できなくなり、急遽大角家に宿泊の依頼があり、村人総出で対応したと記録が残っています。
文政9年(1826)、ドイツの医学者でオランダ商館の医員として長崎に来ていたシーポルトは、江戸へ向う途中、大角家に立ち寄り、当主弥右衛門との話がはずみ、薬を参考資料として貰い受け、周囲の植物を収集して、長崎の出島に送ったとされています。
明治元年(1886)9月21日、明治天皇行幸の小休所として、大角弥右衛門邸に立ち寄られ、現在も明治天皇玉座(上段の間)が残っています。
贅を尽くした玄関や欄間などの建物が国の重要文化財として指定されています。また、池泉鑑賞式庭園があり、旅の疲れを癒していたのではないでしょうか。本庭には、築山(芝山)があり、背後には日向山(にっこうやま)が望まれ、東海道という連続した旅情の一場面を切り取った庭という趣が感じられます。
現在も見学できますが、事前の申込が必要になります。拝観料一人400円
| ☆アクセス方法 |
名神高速道路 栗東ICから5分(駐車場:普通車3台程度)
JR手原駅より旧東海道を徒歩で30分 |
| ☆問合せ |
大角家 077−552−0971 |
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