新善光寺
〜彼岸の繁華〜


 開基については、鎌倉時代の中期、小松宗定が信濃の善光寺に参詣すること48回におよび、ついに霊夢で託宣を受けて、分身の阿弥陀如来の持ち帰り(造像したとも言われています)、建長5年(1253)、この地に一宇を建立して安置したのが始まりと言われています。
 一説には、小松宗定は平重盛の末裔で、名前を平宗定といい、当地に落ち延びた宗定は、高野左衛門尉と称し、平家一門追善のために開いたとも言われています。
 また、新善光寺は、金勝寺別院の一つだったとされる多福寺が前身であったのではないかと推測されています。
 栗東には、その他にも平家の落武者伝承は残っていて、金勝寺で仏門に入り、修行を積んで山麓に御堂を建て、農業をしながら平家一門の菩提を弔ったという三因寺(栗東市井上)や出家して金勝寺で修行し、金勝山にある国見岩より故郷を偲んだとされる伝承などが残っています。
 寛文元年(1661)8月15日、「新善光寺縁起」が書かれ、新善光寺の由緒が述べられています。同じ年、新善光寺を驚くほど尊祟していた当時の膳所藩主本多俊次により本堂が再建し、以後、膳所藩主は、代々新善光寺を庇護していきました。新善光寺という名称は、この時本多俊次によって命名されました。ちなみに「新善光寺縁起」は本多俊次の自筆といわれています。現在の本堂・楼門は明治22年(1889)に再建され、栗東における明治期の代表的な寺院建築です。
 新善光寺の本尊は、善光寺式阿弥陀三尊を秘仏としてまつり、多くの信仰を集めるお寺ですが、これとは別に客殿仏間に安置されている来迎印を結ぶ本格的な阿弥陀如来立像は、高さが98センチで鎌倉時代から南北朝期(14世紀頃)の作風を示し、国の重要文化財に指定されています。
 膳所藩主本多俊次が本堂を再建した時、回廊(西側)と庫裡(南側)に囲まれた彼山水庭園を一緒に作りました。庭の北側から東側にかけては、高さ1.6メートルほどの築山となっています。さらに北側には第二次世界大戦まで百畳敷きの客殿があったといわれ、この築山が本殿と客殿の境界の役目をしていたと思われます。また、近江富士として知られている三上山や菩提寺山などを借景した庭には、中央に大きな亀島を設けることで、その護岸には亀の手脚を表現する横石手法が見られ、巨大な亀が北上する動きが表現されています。
 新善光寺ういろう(栗東市辻にある阿波屋で製造)は、栗東の銘菓として親しまれています。


☆アクセス方法 ・名神高速道路 栗東ICより車で10分
・JR草津駅よりバスで「水口行」の「高野」下車 徒歩5分
☆問合せ 新善光寺 077−552−0075
☆HP http://www.mediawars.ne.jp/~zenkouji/index.html






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