金勝寺
〜夏清の幽玄〜


 天平5年(733)、聖武天皇の勅願により、良弁が平城京の鬼門鎮護のため、金勝山中に草創した寺院で、良弁が金肅菩薩(こんしょくぼさつ)と尊称されていたころから、当初は金肅寺又は金勝山大菩堤寺と言われていました。また、良弁は金勝寺の建立時に、金勝山の最高所である竜王山に、八大龍王をまつり、早魃のときには社前において法華経を読誦したと言われています。
 良弁は、東大寺の建立に力を尽くし、東大寺の初代別当になり、僧正の位まで進んだ高僧です。
 金勝寺が寺院として整備されたのは、弘仁6年(815)、願安が入山してからです。願安は、興福寺の僧で伝燈大法師という高僧で、弘仁年間(810〜824)に、国家の安寧を祈願するため、金勝寺に伽藍を建立し、天長10年(833)に現寺号に改められました。歴代天皇家の帰依も厚く、菅原道真が勅命によって参籠した事が寺伝に記されています。
 中世時代には、湖南仏教文化の中心として栄え、全盛期には金胎寺・安養寺など金勝寺25別院があったとされています。この時代、対岸の比叡山では、最澄が日本天台宗を確立し、南都仏教の流れである湖南仏教とは対峙していました。
 しかし、11世紀前半になると、天皇家や摂関家まで浸透していった天台宗が、湖南・近江国ばかりでなく、全国規模で勢力が大きくなり、金勝寺も天台勢力がおよんでいたと思われます。
 平安時代〜鎌倉時代にかけて、自筆ではありませんが、源頼朝・義経兄弟が古文書を残し、南北朝の内乱期には、南北双方から戦勝祈願の祈祷を要請された事が知られています。
天文18年(1549)に火災で全山焼失し、住持賢法が徳川家康の援助により再興を図りましたが、旧観をとりもどすまでにはいたりませんでした。慶長17年(1612)5月3日、徳川家康の朱印状により、金勝山のほとんどが金勝寺領となり、山の管理は金勝寺に委ねられ、その後も、歴代将軍より朱印状が発せられ寺領は保障されていました。しかし、江戸時代にはかつての力はなく、宝永2年(1705)に、門跡寺院山科毘沙門堂(京都)の末寺になりました。
境内には、奇岩が散在して風致に富み、春になると金勝山の新緑がひときわ美しく、藤棚が向かえてくれ、夏は幽玄な雰囲気で、暑さを忘れさせてくれます。秋は色鮮やかなもみじが心を和ませてくれ、冬は、雪が積もった石段・本堂など趣があり、幻想的な風景が広がっています。
仁王門を入ると本堂・軍茶利堂などが建ち、本堂には木造釈迦如来坐像、軍茶利堂には木造軍茶利明王立像など国の重要文化財があり、木造虚空蔵菩薩半跏像(国重要文化財)は、「十三詣りの仏」として信仰されています。

現在、通常は境内の見学はできますが、仏像の拝観はできませんのでご注意下さい。

☆アクセス方法 名神高速道路 栗東ICより車で20分
☆駐車場 普通車10台程度
☆問合せ 栗東市観光協会 077−551−0126






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